この地域に住む事

何度か書いたことあるけど、私はこのままこの地域で年取っていきたい、と思っている。


地元は別にあるけど、親の家が建ってる地域という認識。


親が別居したり、転々と引越し・転校したせいもあり、落ち着いて長年暮らした場所ではない。


その後学生時代から30代半ばまで、10回くらい引越ししている。


根無草だな、放浪癖があるな、このまま一生転々とするのだろうか?と不安も感じていた。


でも今ここは7年も住んでいる。もうここの人と自分でも言いたい。


それに仕事を通してだけど、知り合いも沢山いる。この人達と一緒に年取っていきたいと感じている。


もっと言うとここを離れて暮らすことが想像できない。ここ以外に私の生きる場所はないような気がするのだ。


この地域の人達を最後まで見届けたいし、ある意味での看取りも私の役目かもしれない、と思うこともある。

高齢者の多い地域なので会うのはこれが最後、という事も多々ある。


本人からそう告げられる事もあるし、家族から本人には内緒でこっそり教えてもらう事もあるし、亡くなった事を後で知りあれが最後だったか…という事もある。


いつ逝ってもいいの、と笑顔で言われる方々の日々に寄り添って私が役に立てるなら、それは私の生きる場所に違いない。


そして私はこの人達のように歳を取りたいし、この人達の行く道を後から辿っていきたい、というか、辿っていくんだなぁ、と今の時点で既に予感している。


だから私はここで歳を取るのが怖くない。



1人でも、今後もし仕事を離れても、ここで生きてた多くの人々の記憶があって、人との繋がりを感じるから孤独ではない。もちろん死ぬまで1人ではいられないので何かの形で誰かとリアルな繋がりを持つ事になると思いますが。


思い出が支えてくれる、というのは本当だ。あの人達が存在し生きていた事が私を支えてくれる。


だから一人一人に感謝している。苦手な人もいるけど、こんな私に我慢して関わってくれた事もありがたく思う。



そんな風に、最近じわじわと思うようになってきた。



ただそこに金銭という現実問題がある。私がここで今のスタンスのまま生きるなら金銭はあまり得られない。自分の仕事は金銭目的ではしてはいけない、というのがどうしても自分の中にあるので、そのいいバランスをどこでとるか、そこがとても難しい。私の苦手なところ。


若い頃から投資しときゃ良かったかなー、なぁんて。その場合そもそも働いてないかもね😆


でもですね、人間って仲間の役に立つ事で幸せを感じる生き物だそうですよ。


パンのみに生きるにあらず。


餓死しない程度のパンが手に入ったら、パンの事は忘れてもっと純粋に人の為に仕事してもいいんじゃないかなー?それってとても新しい世界だなー、と少しワクワクしています。


もちろん、ボランティアじゃ仕事は成り立たない、と言われるのも理解できるのであくまで少しはお金にならないと困りますが。自分のためのお金ではなく周りの人に使うお金として得るのはいい事なんじゃないかと、まだただの空想だけど。


私の所属する業界でこんな事話したらたぶん瞬殺されます😆

甘いこと言ってんじゃねー!我々はプロ野球選手と同じで稼ぐ金で存在価値が決まるんじゃ、田舎の高齢者の可処分所得を引き出すにはな~……なぁんてね、セミナーがあるくらいなんですよ😅


だから誰にも言いません、言ってません。


本当の豊かさとはなんでしょうか?あなたの、私の心の奥底にある1番素晴らしい考えとはなんでしょうか?


まだまだパンにガッついてるけど、時々虚しさがヒョロリ~と顔を出して後ろ姿を見せてくる。

そろそろそんな次元からシフトしたい今日この頃。